黙読のスピードが速くなってきた頃。
小学生になって遠くの図書館まで一人で出かけられるようになった頃だろうか。
読む本によって、物語を語る声が全く違うことに気がついた。
心の中で聞こえる静かな声、楽しげな声、苦しい声、歌うような声、ささやくような声。
その声を聞いていると、放課後の時間がすぎてしまうのはあっという間で、せきたてられるように布団に入った後は暗闇の中で今日聞いた声の物語をもう一度頭の中でなぞった。
「子供が大人の本ばかり読みすぎるのはよくない」と母に言われた日、本の声の違いについて説明した。
「本を読んでいると色々な人の声が聞こえてくるの。
大人の人の声だったり、先生みたいだったり、こどもの声だったりするんだよ。
すごく面白いの。」
母は「なんのことだかわからない」という顔をしていたと思う。
しかし、わたしが大人の本を読むことを止めることはしなくなった。
今自分も子供を産み、二人の子供も同じように色々なことを子供の言葉でをわたしに訴えてくるが、わたしも母のように子供の言いたいこと全てはわからない。
震災が起こり、自分の周囲でも様々なことが変わった。
わたしに出来ることは聞こえてくる「声」を本の中に探すことだった。
「声」を辿っていくことで、たくさんの人に出会った。
何千年も前から、人は歌い、語り、物語を聞いていたと思う。
食べ物や住む場所があるだけでは、人は生きることは出来ないから。
自分を慰撫してくれる言葉だけを探すなら、一冊の本を読むよりも電波の中に答えを求める方がずっと容易だろう。
でもわたしは遠くから聞こえてくる小さな声を届けられる場所を作り続けたい。
声を探している人と出会いたい。
本屋を続けていきたいと思う。